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【第3話】アメリカ・ミシガン州バトルクリーク市の想い出(+シカゴ)❶

ぱてんとです。

高校一年生16歳の夏休み。

私は、人生で初めての「海外」に行けることになった。

当時、そこそこ成績も内申書も良かった私は、

地元の県立女子進学校に進学したものの、

学校が合わずに完全に行き詰っていました(苦・汗)。。

しょうがいないじゃんね~、合わないものは合わない。

高校一年生の夏までは、なんとか成績も安定していて、

生物とか地学とか歴史や地理とか、結構好きな科目もあって結構頑張っていたんだけれど、

なんか、

クラスメートがみな「蝋人形」に見える~~~(恐怖)。

入学して最初の頃は、担任の先生が物理の先生でとっても優しく共感性があって、とても救われていたの。あの時の担任の先生には本当に「感謝」だなー。

でも、ハッキリ言って、同級生たちには全く恵まれなかったと今でも痛切に思う。

公立の進学校だからなのか、女子高だからなのか、理由は今でもわからないけど、

同い年の同級生たちに、全くと言っていいほど「共感性」を感じることができなかった。

あ、私に共感性が無かったんじゃないのよ。

共感性が無かったように感じられたのは「彼女たちのほう」。

みんな、勉強はできるけど、ちょっとバカやってみたり、ふざけてみたり、冒険してみたり、みんなで一丸となって何かを成し遂げてみようとしたりとかは

皆無。

あ、私が幼稚だったのかー!?そういう意見もあるよね(苦笑)。

でも、とにかく当時の高校には

なんのワクワク感も無かった。

それでも、せっかく県内随一のトップ校に入れたのだからと、最初の頃だけ結構張り切っていた私は、

高校留学はできなかったけれど、何か「海外」に縁のあることをしたくてしたくて、

ずっと情報収集は続けていたのよね。

そしたら、ある日曜日の朝、

毎月自宅に送られてくる「市の公報」のミニ新聞に、こういうお知らせを発見!

高崎市-アメリカ・ミシガン州バトルクリーク市(姉妹都市)の高校生交換留学生募集!!!

お!

待ってよ!!

これ、

速攻応募だー!!!!

まさに、当時、なんの「迷い」もなく、たしか両親にも報告すらせずに勝手に応募していたような気がする。覚えていないが。。。

そしたらね、なんと

高崎市の「国際交流課」から、すぐに返事が来たのよね。

所属している学校(高校)にも連絡が行って、すぐに「面接」もアレンジされていたな。

私の高校からは、私を含めて2人の生徒が応募していたそう。

その引率責任者となったのが、

前回のブログで「高校三年の担任となってから大っ嫌いになった、英語教師の先生」です(苦笑)。

当時は仲良かったな。その先生とは。

その後、私がその先生に壮絶な反抗をすることになるとは、当時は夢にも思わなかったな。青かったな、私。。。。。(苦笑)

学校を巻き込んで面接することになった時に、初めて両親に「市の交換留学生として応募している」ということを打ち明けたんだったような気がする。

面接は、なんと高崎市庁舎の、高崎市長の市長室で、面接官はもちろん「高崎市長」(とその他市庁の国際交流課スタッフの方々)。

私ともう一人応募していた同級生と、その英語教師の先生と三人で市長さんに面接してもらいに行きました。

そうそう。私ともう一人応募していた同級生なんだけれどね。

この生徒さん、当時、英語の成績は「学年一位」でした。

私は理科系と社会・国語系の成績はかなりよかったけれど、

当時「英語」の成績はごく並レベル(中の中か、中の下くらい)。

「海外魂」に突き動かされていたくせに、英語のレベルは「並」って、

どれだけ努力不足なんだか突っ込まれてもしかたがないけど(苦笑)

まあ、当時の私って、とにかく「志」は高かったけれど「幼稚」だったのよね。多分(笑)。

英語の成績学年一位の彼女は、そういった意味では「強敵」でした。

なんか、性格も物凄く良くって。

でもね、

私、

ある強みがあるのです(ウフフ💖)。

私は、昔から現在に至るまで

口が上手い

ところがあるのです(笑)。

面接とか、スピーチとか、私

めっちゃ得意!!!

なのですね。

もう、ガンガン言いたいことをいいつつ、

面接官とか相手の懐に入り込んでしまうことのできる、ちょっとした才能があるんです(あくまで「自己評価」です・笑)。

これが功を奏したのね。当時も。

どう考えても、英語の成績等はその同級生がダントツ上なのに、

どう考えても、その同級生のほうが「品」があるのに(笑)、

「アピール力だけ」で(苦笑)、その面接を制して「選ばれた」のは、私の方でしたー!!!★★★

(結局、高崎市全土から応募した生徒さんたちの中で、合計4人、全部で4校から一人づつ選出されました。)

まさか英語成績トップの自分が落選するとは、思ってもみなかったその同級生。

その時の、彼女のなんとも言えない寂しそうな、残念そうな、なんで自分が落選。。ていうか、なんで「ぱてんと」が選出されたの!?

という表情を、

私は今でもハッキリと覚えています!

ごめんなさいね。。

こんな私が選出されてしまって、

あなたのような優秀な生徒さんが、この機会をモノにできなくて。。。

でも大丈夫。

あなたは超優秀。

これからいくらでも、あなたのような優秀な生徒さんにはチャンスがある。

それに比べて、私はあなたのようには「ぜんぜん優秀じゃない」けれど、

私には燃えるような「海外魂」があるの。

英語下手くそだけど(苦笑)

そんなの関係ない。

とりあえず行ってきます。アメリカに。

成せばなる。

私の「座右の銘」は、この頃からこれだった。

この(短期間だったけど)交換留学の経験は、

その後の私に多大な影響を与えてくれた。

交換留学を終えて帰国後、私は

更にドン底に落ちる

んだけれどね(苦笑)。

それはまた次回のお話。

あ、そういえば、この時選出されなかった超優秀な英語の成績トップの生徒さんだけれど、

その翌年、別の交換留学プログラムに見事選出されて、

ニュージーランドに1年間留学することになったそう。

よかったじゃん!

おめでとう!!

ね、あなたのような超優秀な生徒さんには「必ず次のチャンスが訪れる」って言ったでしょ?

私の時は合計一ヶ月だったけど、

あなたは丸一年。

彼女は更にその後、たしか

東京外国語大学だったか、上智大学だったか、

とにかく、語学の一流大学に進学していったのよね。

当時の私とは「真逆の人生」を、悠々と進んでいったわ。。。

「アメリカ・ミシガン州バトルクリーク市の想い出(+シカゴ)❷」に続く。。。。

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